宇田川榕菴

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宇田川榕菴を知ってますか。
「珈琲」の漢字を考案した人なんです。

宇田川榕菴は、江戸時代後期に津山藩のお医者さんで蘭学者でもあります。
珈琲以外にも「酸素」や「水素」の文字も考案しています。
そもそも、日本には概念のないものを漢字にするところがすごくとても興味を惹かれます。

その当時の珈琲の味はどんな味、どんな香りだったのでしょうか。

先日、そんな珈琲が飲める「作州津山の城西浪漫館」で珈琲を飲んできました。
の城西浪漫館は、小学校の頃よく遊んでいだ中島病院の建物を改修されたものです。

私は、岡山県の津山市出身でこの中島病院ではよく遊んだものでした。
道路から玄関まではもって広かったように思えますが、これも時代なのでしょうか。
幼い頃の感覚とは違っていました。

城西浪漫館のパンフレットによると、アラビカ種のティピカの「ジャワアラビカ」とスマトラ島のアラビカ種の「マンデリン」で、これらが当時の珈琲にもっとも近い品種で「幕末の珈琲」を再現している。と書かれています。
さらに、当時の珈琲豆は、鎖国中の日本と貿易を行っていたオランダを通じて持ち込まれたインドネシア・ジャワ島(オランダの植民地だった)で作られていたアラビカ種であることが分かっています。
インドネシア・ジャワ島の珈琲豆は、元禄十二(1699)年にオランダ人が栽培をはじめ、この珈琲豆が江戸時代の日本へ持ち込まれたもの。と書かれています。

肝心な、珈琲の淹れ方ですが珈琲缶というコーヒーメーカーで淹れられていたようで見るからに煮出しているのではないかと想像しました。

江戸時代からコーヒーには何か引き着けるものがあるのでしょうね。

最後に、珈琲の二文字に込められた意味は、オランダ語のkoffieの発音に合わせただけでなく、「珈」は女性の髪を飾る玉飾りを、「琲」は玉飾りの紐を表したもので、コーヒーの木になる真っ赤なコーヒーチェリーが実っている様子を模写したものだそうです。

榕菴先生、恐るべしです。

城西浪漫館から一部引用
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